甲賀市 多羅尾地区の生活と文化
多羅尾は滋賀県の南部に位置し 三重県と京都府に接しており 昔の近江(滋賀)から大和朝廷のあった大和国(奈良)への道
として重要な街道筋(京街道)であった 古代宮都の位置 (資料:甲賀市文化財ガイド)
また 本能寺の変で窮地に陥った徳川家康は 信楽の城主であった多羅尾氏に護衛されて 「伊賀路」を抜けて無事伊勢国白子
までたどり着けた
このこともあって多羅尾氏は 世襲代官として多羅尾を収め 今も多羅尾陣屋跡がのこされており ご子孫の方が住まわれている
多羅尾の地名は 古老の話によれば 昔から「たらの木」が多く自生していたことから「たら野」と呼ばれていた
また 現在の多羅尾カントリ入り口前に「弘法の井戸」があるように 空海が多羅尾に滞在したおり インドに多羅の木があり
多羅尾に自生する「たら」と語呂合わせで「多羅尾」としたとの逸話があるようである
現在 多羅尾は一時期人口1200名を超えていたといわれるが 現在の人口は500名ほどで 過疎化が進んでいる
多羅尾小学校の在校生も13人であるが きめ細かな教育がなされているようで 他所からの移住を募っている
昭和28年8月15日の大水害(山津波)による甚大な災害は この地が風化しやすい「花崗岩」であることも影響しているといわれる
(逆に 信楽焼きの良質な陶土となっている) 大水害の記録
資料:甲賀市史 甲賀市文化財ガイド
項 目 | |||
祭 事 | オコナイ 多羅尾 (2/12) | 虫送り 多羅尾 (6/28) | 高宮神社夏まつり(6/30) |
花バイ 里宮神社 (7/18) | 多羅尾太鼓踊りH20(10/1) | ||
村の構成 | 宮 座 | ||
文化財 | 磨 崖 仏 | 道 標 | 仕 置 場 |
弘法の井戸 | 元伊勢神社 | ||
多羅尾氏関係 | 代官所跡 | 墓 地 | |
多羅尾の植物 | フタバアオイ | ||