橋 と 欄 干


滋賀県には大小約460本の河川があり、その全てが琵琶湖(滋賀県の約6分の1を占める:面積674平方km:淡路島とほぼ同じ大きさ)に流れ込み、瀬田川と琵琶湖疎水のみを流出口として、淀川を流れて大阪湾に注いでいます

また、歴史を少し調べてみると その昔 滋賀県の河川は平野部に水を確保する場所がなかったことから、洪水と水飢饉に大変苦心したことが分かります

そして、国道8号線が開通するのが、昭和36年頃のことでしたから河川に架かる橋も多くが木造であったようです
橋にもそれぞれの歴史や言い伝えがあったとのことです

河川に架かる橋は、交通の手段としての機能を追及されていたものですが、 最近の橋には、欄干に装飾が施されその地の言い伝えや歴史・伝説等に由来する飾り付けが見られます

とてもユニークな「橋の欄干」について記録して見ました


瀬田の唐橋

瀬田の唐橋は、京の都を目指す者が、必ず通らねばならなか

つた古来より戦略上の重要な要所であつた

大津と草津を結ぶ湖上交通が近道ではあったが、比叡おろし

の突風の危険から陸路の唐橋を通るようになり、「急がば回

れ」の諺が生まれた場所です

また、俵の藤太の「ムカデ退治伝説」もあります

三上山にいた「七巻半の大ムカデ」が通行人や住人に悪さを

するのを藤太が弓矢で仕留めたと言う言い伝えです

注:七巻半とは鉢巻にも満たないことか?


琵琶湖大橋

琵琶湖の湖面は標高 海抜84.371mで大阪城の天守閣の高

さとほぼ同じです

琵琶湖大橋は、西岸の堅田と東岸の守山を結び全長1350m

あります

橋の両サイドにあった「びわ湖タワー遊園地」「わんわん王国

」は営業を止めましたが、道の駅「びわ湖大橋米プラザ」が橋

のたもとにあり、また、浮御堂が近くにあります




日野川(桐原新橋)

江頭・十王両村名主像
1586年例年にない「カンバツ」で日野川水系は枯渇して深刻な事態になり、流血の騒動となった土地の名主は水争いの裁きを領主豊臣秀次公に直訴し解決に導いた
豊臣秀次公像
秀次公は豊臣秀吉の甥にあたり1585年(18才時)に四国征伐の功により赴任し、本能寺の変で主を失った安土の商工業者を集め、楽市楽座・八幡堀を起こすなど今日の近江八幡の整然とした町並みを築いた
また、日野川の「カンバツ」時による騒動も自ら現地に赴き、領主の権力によらず双方納得の裁定を下して水争いを鎮めた
この塔は安養寺に建立された石造五重塔の模型
鎌倉時代に石塔の造立が盛んであり県内には多数の石造がある 
特に石塔寺には無数の五輪塔や石仏がある

昔、インドの阿育王が世界中にばらまいた仏舎利塔2基のうちの一つが石塔寺の阿育王塔(国:重文)




愛知川(八幡橋)  豊作を願っての豊かな稲穂の飾り


愛知川 (春日橋)

現代美術の彫刻 この川の上流は紅葉で有名な永源寺がある


愛知川には特に珍しい橋があります

その一つが「むちん橋」:
 江戸時代は幕府の政策として、橋を架けることを原則禁止して人々の往来を規制していた
 したがって、「川を歩いてわたるか」「渡し」によっていたために水難事故は絶えなかったし、通行料が要った
 現在「御幸橋」と呼ばれる橋(由来は明治天皇巡幸を記念して名づけられた)は、昔は木造で、文政12年(1831年)
 に地元住民:成宮氏と五個荘の4人が彦根藩に申し出て完成させ、橋の通行を無料としたことで「むちん橋」と呼ばれていた

その二つが「不飲橋(のまずはし)
 もともと湧水があったことから、井伊直弼が安政6年に川に水路を開削し、主に年貢米の運送に使い、人の輸送も行って、琵琶湖を通っていた
 大津までの交通の手段としていたようである
 不飲橋の由来は、水源である不飲池で往古に激戦があって、多くの流血で池が血に染まり、土地の人がこれを忌み、以後飲用しなくなったと
 言われる
 また、一説には、「平将門」が身の汚れをこの池で洗い清めたために、誰もこの池の水を飲まなくなったとも言われている



宇曽川(すみれいおおはし)

琵琶湖を往来して重要な役割を果たした舟



宇曽川(金沢大橋)

琵琶湖の主要な漁業資源のひとつ「びわ湖のアユ」 昔は沢山この川を遡っていたのだろう



犬上川(犬上川橋)

現代美術の彫刻 この川の上流は紅葉で有名な永源寺がある



犬上川(ふくじゅはし)

甲良町は昔から巧みな技を有した甲良大工が有名
現在は良質なケヤキを使用した「甲良臼」が有名で、完成するまで手作業で約3〜4年はかかると言われている
おはな踊りは国選択無形民族文化財に指定されている雨乞い行事
水に恵まれているようにみえる滋賀県ですが平野部に貯水池がないため意外とカンバツに見舞われる
昔、鈴ヶ岳の竜神に病を治してもらった村の娘「おはな」が竜神との約束を破って結婚し命を絶たれる
竜神はおはなの黒髪を切って池に沈めると、日照りで困ったときお祈りすればきっと雨が降ると告げ、以後、村人が雨乞いすると不思議に雨が降ると言われている



犬上川(開出今橋)

何のイメージして作られたのか  天狗かな?
いいえ これは 関が原の戦いで彦根藩の赤装束で勇猛を馳せた勇姿が あたかも赤鬼のごとくであったとのことから 「赤鬼」をイメージして 抽象彫刻家の第一人者 清水九兵衛氏がデザインされたものとのことです
(佐々氏より)



きぬがさ街道




野洲川(近江富士大橋)

明治14年に野洲の大岩山から銅鐸3個が発見され、その後も発見され全部で24個となった
日本最大の銅鐸で高さ134.7cm、重さ45.47kgある  



野洲川(新柏貴橋)



新守山川(欲賀大橋)

この地区は小津神社の長刀まつりが行われている
長刀まつりと俵藤太の三上山のムカデ退治の伝説を模したものか



長命寺川(志らおうはし)

一見お城を模した様であるが意味不明



大同川(水車橋)

能登川には広大な大中の干拓地がある  古くより水車を利用した精米や製粉等に活躍していた
また、伊庭内湖(いばないこ)を擁した水に恵まれた地内のカヌーランドには直径13mの水車(関西一)がある



白鳥川(小舟木橋)

この橋は近江八幡の八幡堀の様子を写真で銘板としている