近江の 磨 崖 佛と石仏
湖南地区
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狛坂磨崖仏
栗東 出庭 墓地
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栗東 松源院
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栗東 金勝 茶沸地蔵
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栗東 金勝 泣き地蔵
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栗東 御園地蔵
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栗東 狛坂逆さ観音
正式名称: 阿弥陀三尊石仏
中央:阿弥陀如来 左右の侍仏:観音・勢至菩薩像
この奇妙な「逆さ観音」は桐生キャンプ場から狛坂寺跡・金勝寺へ至る田上山の一角にある
この一帯はかっては、ヒノキの大木が生い茂る山であったが、奈良時代41代持統天皇
( 686〜697)の藤原京や平城京の南都七大寺とうの建設用資材として伐採され、
花崗岩の巨石が露出する禿山になってしまった
(滋賀の山が禿山なのはほとんどがこうした理由)
逆さ観音はもともと上部の山中にあったが、明治22年完成した「オランダ堤」の石材不足
により、逆さ観音を刻んだ大岩の一端を割り取り、その影響でバランスを崩し、山上からずり
落ちて逆さまになったそうです
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栗東 狛坂磨崖佛
狛坂寺跡磨崖佛は高さ約6m幅4.5mの岩肌に如来坐像(像高約3m)と
菩薩立像2体(像高約2.3m)が刻まれている
(奈良時代後期の制作)
湖南アルプスの金勝(こんぜ)連峰には、東大寺の良弁僧正が開いたと
いわれる金勝寺があり、その西の山中に狛坂寺跡がある
金勝寺が女人結界の霊地とされ女人の参拝が許されないため、この地に金勝寺の別院
として平安初期に建立されたのが狛坂寺と言われるが、石垣と磨崖佛が残るのみ
また、狛坂寺跡から金勝寺に至るハイキングコースの途中に「茶沸かし観音」磨崖佛がある
(像高約30cmの立像)
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栗東 出庭 西光寺
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栗東 上砥山石仏
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栗東 走井磨崖仏
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栗東 宅屋集落石仏
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栗東 蜂屋公民館横石仏
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栗東 蜂屋西方寺石仏
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栗東 蜂屋川沿い石仏
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栗東 蜂屋川沿い 石棺仏
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守山 住吉神社前石仏
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守山 西隆寺石仏
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守山 東門院石仏
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守山 浮気 東福寺石仏
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草津 烏丸地蔵さん
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野洲 福林寺磨崖佛
観音・阿弥・地蔵の3体磨崖佛
3体磨崖佛の奥の岩に平肉彫りされた約45cmの地蔵立像が13体
(室町時代)
野洲中学校 東裏山の「小磨崖佛群」(福林寺跡磨崖佛と呼ばれる)
仏像が小さいので大多数は持ち去られたとのこと
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野洲 妙光寺不動尊 磨崖佛
野洲市の妙光寺集落を過ぎ 不動池をさらに山へ進むと不動寺があり お堂の奥の岩に不動さんが彫られている
顔は浮彫りで体は線彫りとなっており 甲南 杉谷の息障寺の不動尊の表現と同じ
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野洲 妙光寺磨崖佛
地蔵磨崖佛
高さ160cm 厚さ10cmの地蔵立像を彫り出したもので「書込地蔵」とも呼ばれる
(鎌倉時代の作 1324年の造立銘あり)
三上山(通称:近江富士)の尾根づたいに妙光寺があり、その山の北斜面に磨崖佛がある
宝珠・錫杖を持ち、足に沓を履いているのが珍しい
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野洲 永原 福泉寺石仏
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野洲 三上 行畑石仏
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野洲 三上 南桜 報恩寺
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野洲 三上 南桜地蔵尊
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野洲 行畑背比地蔵
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野洲 市三宅地蔵尊
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野洲 小南石仏群
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野洲 西光寺石仏
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