黒谷 東光寺



           天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦のおり 柴田勝家配下の武士たちが いずれ負け戦になるであろうと予測して
           各々の家族をここ黒谷の地(塩津街道が整備されるまで北陸への唯一の抜け道であったとされる)に隠れ住まわせた
           戦いで武士は討死し 残った家族が石仏を奉って一族の菩提を祭ったとされる



石塔群



五輪塔



五重石塔



五輪塔



寄せ集め五輪塔



五輪塔



宝塔三基(鎌倉時代)
(中央は軸部に一座の佛坐像を左右の二基は二座の佛坐像を刻む)



石塔群



五重層塔の佛坐像



二座の佛坐像



佛坐像



近江の石造