石塔 石塔寺
七世紀 新羅によって滅ぼされた百済の高官たちが日本へ亡命し 近江の蒲生地域に住み着き
その子孫たちが 奈良時代に祖先の菩提を祭るために建立したと言われる
三重石塔(奈良時代)朝鮮半島様式 阿育王塔(あしょかおうとう)日本最古の石造三重石塔 |
三重石塔を囲むように多くの五輪塔が所狭しと並ぶ(鎌倉時代) |
五輪塔 左 (鎌倉時代) 右 (南北朝時代) |
宝塔(鎌倉時代) |
多くの五輪塔に混じって石塔も見られる |
宝篋印塔 塔身軸部はふくらみ四面に仏を刻む |
どう見ても「男神」「女神」の二体が刻まれていると思われ 素人判断ですが 長野県・群馬県で見られる「道祖神」か 近江ではほとんど見ることはない |
同 上 |