11、北国脇街道
北国脇街道は 豊臣秀吉が柴田勝家と本能寺の変で殉じた信長の後継者選びで
対立し賤ヶ岳で睨み遭い 一時岐阜の大垣城に入ったとき 秀吉方の中川清秀が
余呉湖付近で討ち死にした一報を受け 大垣から十三里あまりを 5時間ほどで駆
け抜けて 柴田勝家を滅ぼした話が有名なほど 軍事上・経済上重要な路で
中山道関が原宿から伊吹山山麓を通って木之本で北国街道と合流する路である
関が原(岐阜:中仙道より分岐)−藤川ー寺林ー春照(すいじょう:伊吹)−小田(山東)−今庄ー佐野ー
八島ー尊勝寺ー山ノ前(浅井)−伊部ー郡上(湖北)−馬上ー雨森ー井口ー待寺(高月)−田部ー木之本
(塩津街道に分岐)
1、杉沢常夜燈
銘 大神宮 基壇 所在地 米原市杉沢 (勝居神社前) 建立 明治二十一年(1888) 願主 戦国武将が武運を祈願した神社 でもある |
2、秋葉神社常夜燈
銘 秋葉神社 基壇 所在地 米原市春照 建立 明治二十五年(1892) 願主 北国街道 と中仙道を結ぶ脇街道 は北陸の大名たちの参勤交代の 道でもあり 春照は重要な宿場 |
3、上野常夜燈
銘 金毘羅 基壇 大権現 ○○松尾寺 所在地 米原市上野 (伊吹山登山口にある) 建立 不詳 願主 道路区画整理で もとあった場所 から相当に離れた伊吹山登山口 の階段の上に移設されている |
道 標
春照八幡神社
右 北国きのもと えちぜん道 左 ながはま道 所在地 米原市春照 建立 不詳(高さ1m位) 春照(すいじょう)の西北に八幡神社が あり その角に立つ 八幡神社は姉川合戦で徳川家康が戦勝 祈願をした場所 |
小田(やないだ)八幡神社
右 江戸道 左 中仙道 所在地 米原市小田 建立 不詳(自然石) 春照の八幡神社から小田の 八幡神社へは約1キロ位 小田八幡神社の角にある |
小田八幡神社近く
右 北国道 左 長浜道 所在地 米原市小田 建立 不詳(自然石) 小田八幡神社からすぐ近くの 民家の傍 |
野一色道標
左 長浜 京ミち 右 たにぐみ ぜんこうじ みち 左 伊吹山 山東町野一色交差点近く 野一色会館敷地内 天保二年(1831) 野一色は春照から長浜に通じ 北国脇往還から離れている場所 であるが街道と街道を結ぶ間道 湖南・湖北地方で「ぜんこうじ」の 表示がある道標は初めて見た この道標は元あった場所から R365を渡って野一色会館敷地内 に移設されている |
野村公会堂辻
右 北国道 左 江戸谷汲 所在地 長浜市野村 建立 不詳 谷汲とは岐阜にある西国三十三番 札所の谷汲山華厳寺のことで 四国巡礼の札納めの寺でもある 北国脇街道の細い道の道標には「江戸」の 表示が多い かっては江戸へ通じる主要な道であったので あろう |
元三大師道道標
銘 元三大師道 所在地 虎姫町大寺 北国脇往還から北国街道へ通じる 間道 虎姫町大寺から三川に通じる道沿い にある 三川には元三大師(比叡山延暦寺の 中興の祖 良源:慈恵大師)が誕生さ れた玉泉寺がある |
八島集落内A
八島集落は小さな集落で旧街道はくねくねと集落内を通る
この集落は取り立てて目立つものはないが 道標が確認されているだけで
六ヶ所ある
右 越前道 左 江戸道 所在地 長浜市八島(集落内) 建立 不詳 |
八島集落内C
東 関ヶ原ミち 西 虎姫駅 一里 南 内保 約 四丁 木之本約 二里 北 八島 所在地 長浜市八島(集落内) 建立 明治17年に北陸本線開通時に 寄進されたのではないか |
八島集落内D
左 江戸道 所在地 長浜市八島(集落内) 建立 不詳 |
馬上(まけ)の道標
北国きのもと道 北すきのかなゐはら道 南東京せきかはら道 所在地 高月町馬上 走落(はせおち)神社近く 建立 明治29年 願主 「すきのかなゐはら」は木之本の 杉野・金居原をさし美濃揖斐へ 抜ける間道である |
持寺の道標は持ち去られて現存しない
このまま北国脇街道は北上して木之本に入り 北国街道と合流する