10、若狭街道
(別名:鯖街道・西近江路間道・朽木街道・今津街道)
京都と若狭を結ぶ最短の街道
特に 若狭湾で獲れた鯖を京へ運んだが 鯖は傷みが早く 腹を裂いて塩をまぶしたものを
運び 京に着く頃に程よく塩が回って作る鯖すしが好まれたことから通称:鯖街道と呼ばれる
また 軍事上においても重要な道で 室町幕府12代将軍足利義晴 13代将軍足利義輝は
共に朽木に逃げている
1570年には信長が越前 朝倉攻めの時 浅井長政の挙兵で湖北路の退路を断たれて朽木
を越えて京へ戻っている
若狭から京への道は他にも多くあったようであるが 鯖街道と呼ばれたのはそう古くなく
「朽木街道」と呼ばれていたようだ
肝心の常夜燈についてはこの街道についてはほとんど見当たらない
かろうじて 坊村の明王院付近に寺院の常夜燈として見られるのみで 伊勢参宮や江戸への
街道としての役割はなかったようだ
京都ー大原ー途中(大津:伊香立)−花折峠ー葛川ー坂下ー中村ー坊村ー町村ー梅ノ木ー細川ー
右淵(朽木)−野街道ー腰越ー村井ー古川ー岩瀬ー市場ー三ツ石橋ー桧峠ー途中谷ー保坂(今津)−
水坂峠ー杉山ー上大杉ー大杉(福井:上中)−熊川ー小浜
なお 今津から保坂を経由して小浜へ向かう街道があり距離にして九里半(約38キロ)
あることから「九里半街道」とも呼ばれる
常 夜 燈
坊村常夜燈
銘 愛宕山 建立時期 不詳 鯖街道は坊村集落で右に折れ 地主神社前を通り 明王院前から 現在の車道に出る 街道筋で唯一の愛宕山常夜燈 で集落の入口の左手に立つ |
地主(じしゅ)神社常夜燈
銘 献 燈(対) 建立時期 明王院の鎮守で貞観元年 (859)の創立と伝えられる 旧街道が右折して正面に地主 神社がある 常夜燈の灯かりは旅人に安心 を与えたことだろう 愛宕山常夜燈を過ぎてすぐ |
明王院常夜燈
銘 常夜燈(対) 建立 途中(とちゅう)から花折峠(はなおれ とうげ)を経て北北東へ進むとやや開 けた坊村の集落があり 貞観元年 (859)に天台宗無道寺の僧 相応 (そうおう)が開基した明王院の葛川寺 がある 現在でも天台宗の重要な修験道場で 回峰の行者も見られる 明王院は現在 解体修理中で出入りが 出来ない この常夜燈は薄暗い街道筋にあり 旅人の足元を照らしていたことだろう |
護法尊前常夜燈
銘 常夜燈(対) 建立 不詳 明王院を少し過ぎた場所にこの 護法尊を祀る祠があり その前に この常夜燈がある |
細川常夜燈
銘 常夜燈 建立 不詳 坊村から市場に向かう途中の 細川の小さな集落にこの常夜燈 は立つ 近くの住人に謂れを聞いても 知っている方は居られなかった |
道 標
坊村の道標
銘 是より明王道 かけぬけ一丁半 朽木:小浜から途中へ向かう街道筋 坊村の明王院手前にあり 小さいので見過ごしやすい |
市場の道標
鯖の道 左 京道 朽木:市場の街道筋に新たしく 立てられた道標 この筋には丸八百貨店(現在 は観光案内所)がある |
保坂の道標
右 京道 左 わかさ道 左 志ゆんれいみち 今津海道 (ゆんれいみち=巡礼道) 建立 安永四年(1775) 施主 桑村 保坂は若狭から峠を越えて滋賀 に入った最初の集落で 今津と 朽木経由京都への分岐点でも ある |