8、塩津街道

                                    (別名:五里半街道)

     塩津は北陸と大津・京都を結ぶ湖上交通の要所で越前や若狭の物資は丸子船で運ばれ 
     今も当時の石垣や街道の石畳が残されている
     山越えが塩津街道と呼ばれた

     
   木之本(北国脇街道より分岐)ー大音・西山ー飯浦(西浅井)−塩津浜ー塩津中ー余ー沓掛ー
         新道野(福井・敦賀)

     塩津街道筋が 他の街道筋と違って常夜燈や道標の数が極端に少ないのを不思議に思っていたが
     地元在住で郷土史研究家の中嶋氏の話によれば 昔の古老たちの言い伝えでは もっと多くの遺跡
     があったようである
     それが現存しないのは このあたりの土地はは沼地に近く 土地改良や戦前の道路建設時に地盤固め
     に使用されたようだ また 戦前に出兵して戦死された方の墓石としても使用されたので現存するのが
     少ないのではないかと推測されていた

     


 塩津浜常夜燈


 銘  常夜燈
     太神宮   

 基壇 海道繁栄 五穀成就

 建立 天保五年(1834)

     馬持中 世話方九ヶ村 役人中
 
 所在地 西浅井町塩津浜

 滋賀県下の塩津街道常夜燈はこの一基
 のみ
 塩津浜は滋賀と北陸とを結ぶ重要な拠点
 で湖北での湖上交通の要所 
 馬で荷物を運ぶ仲間や 塩津浜九ヶ村の
 世話役たちが建立したものと伝えられている



道 標     

西浅井:集福寺


 銘 右 集福寺 志ゆうふくじ           中之郷停車場線 なかのこう

        左 国 道 12号 線

        久つかき 川口開道

 建立 明治15年以降

 所在地  集福寺の集会所脇

 もとは国道沿い(国道365号)に
 あったものと思われる


 昔から深坂峠には日本海と琵琶湖
 を結ぶ「運河」の計画が何度もあった
 が都度色んな事情で中断されている

  





塩津北口


 銘 左 いせ たにぐミ きのもと            すぐ竹生島 大津 諸浦出航

     
 建立 天保十二年(1841)

 所在地  R8号塩津北口交差点の
       常夜燈の脇

 国道の取り付け工事などで常夜燈とともに
 あちこちと移動したようだが今は現在の場所
 に収まっている