7、北国街道
近江と北陸をつなぐ街道で 中山道鳥居本から湖北地方を通り 栃ノ木峠を越えて
今庄板取に至る街道
鳥居本(彦根:中仙道より分岐)−米原ー飯(近江町)−碇ー長沢ー田村(長浜)−高橋ー下坂浜ー朝日ー
元浜ー三ツ矢元ー祇園ー曽根(びわ町)−唐国(虎姫)−酢ー馬渡(高月)−高田ー速水ー千田(木之本)−
坂口(余呉)−下余呉ー名ノ郷ー東野ー今市ー小谷ー柳ケ瀬ー椿坂ー中河内ー栃木峠ー板坂(福井今庄)
1、下坂浜常夜燈
銘 只越神社 基壇 下坂濱中 所在地 長浜市下坂浜町 (さいかち会館前) 建立 不詳 願主 常夜燈の脇には樹齢400年といわれる 「さいかちの木」が青々と茂っていた |
2、鞴橋(たたらばし)常夜燈
銘 金毘羅大権現 常夜燈 基壇 所在地 長浜市朝日町 (米川に架かる鞴橋の脇) 建立 文化十二年(1815) 願主 米川の河口は長浜湊で物資輸送の 重要な役目を果たしていた |
3、元浜町常夜燈
銘 太神宮 八幡大神 基壇 為往来安全 所在地 長浜市元浜町 建立 明治十一年(1878) 願主 北国街道 長浜宿北の入口にあたる 場所に立つ 北国街道郡上通りは明治4年 (1871) 最後のあだ討ちがあった場所とされる |
4、坂口常夜燈
銘 常夜燈(対) 大箕山(たいきさん)菅山寺 所在地 余呉町坂口 建立 不詳 願主 北国街道 木之本宿を北へ進むと 余呉へ向かう 菅山寺は菅原道真の再興 (寛平元年:889)と伝えられる 通りには「菊水飴」の水飴屋がある |
5、国友常夜燈
銘 大神宮 所在地 長浜市国友町 基壇 村中安全 建立 明治41年 願主 国友は国内有数の鉄砲鍛冶 があった場所で大きな屋敷跡 が残されている |
道 標
息 長(いきなが)
銘 右 長濱 二里2丁 所在地 米原市能登瀬息長 中仙道の番場から国道21号を渡る と北陸自動車道の近くに長息の集落 がある 天平神護2年(766)に記録が残さ れている「山津照神社」があり 古代 豪族「息長氏」が支配していたと言れ 地名も残る |
大戌亥町(おおいぬいちょう)
銘 右 京いせ道 左 北こく道 建立 安政五戌午八月(1858) 見付屋長治郎建立 所在地 長浜市大戌亥町 田村町・高橋町を過ぎて湖岸へ出る 手前にこの道標は立っている 左へ進むとJR北陸線を渡り 下坂浜 常夜燈のある場所にたどり着く |
長浜市役所
銘 左 京いせミち 左 多にくみ道 右 たにくみ道 右 北国みち 建立 寛政八年(1796) 所在地 長浜市高田町 長浜市役所敷地内 もとは駅前通りから北の十字路が昔の「札 の辻」で美濃:谷汲への分岐点であった 現在は長浜市役所敷地内に移設されて いる |
長浜宮前町
銘 多にくみ道 所在地 長浜市宮前町交差点 長浜は秀吉によって築かれ 湖上交通 や陸上の交通の要所として栄え 現在 も「黒壁」として賑わいを見せている この道標以外にも「多にくみ道」や 「北こく道」「京 いせミち」を示した数基 の道標がある |
長浜黒壁スクエアー角
銘 左 多にくみ道 右 北国みち 京 いせミち 右 たにくみ道 所在地 長浜市黒壁スクエアー角 (旧北国街道筋) 建立 寛政八年(1796) 現在は建物と柵の中にあり見落とし 勝ちになるが 西国三十三ヶ所観音 霊場の最後の札所 岐阜県の 谷汲山華厳寺への巡礼みちであった ことが判る |
曽 根
銘 右 竹生嶋道 建立 文久二年(1862) 高さ:3.1メートルもありでかい 所在地 長浜市曽根町 国道八号 曽根北交差点より 右に入ってすぐ この道標から北には「竹生島」を 示すもの多い 竹生島は西国三十番観音霊場 宝厳寺(真言宗)がある琵琶湖に 浮かぶ島である 周囲約2kmで現在は奈良桜井の 長谷寺の末寺となっている 人は住んでいない |
馬渡(もうたり)
銘 左 竹生嶋本道 建立 明治14年 所在地 高月町馬渡 高時川を渡り道は左右に分かれ 左にとるとすぐこの道標がある 小さな地蔵堂の側に立つ |
小観音寺
銘 右 竹生島 江戸鳥居講中 所在地 高月町馬渡 馬渡の道標を過ぎ左へ進むと 小観音寺の集落へ 高時川堤防をとる道と右へ折れる 分岐点に立つ |
香花寺(こうけいじ)
銘 右 ○○ 所在地 長浜市香花寺町 小観音寺集落を過ぎると香花寺集落 に入り 道は左益田から早崎港へ 右に進むと速水へ向かう交差する場所 にあるが銘がハッキリと読めない |
速水北
銘 右 竹生嶋道 所在地 湖北町速水 速水北交差点にあり もう一つ 「是より西竹生嶋ミち 尾上村に船」 の道標があったようだが 今は見当たら ない(伊豆神社へ移設されているようだ) (発見したので下に記載) |
速水(伊豆神社)
銘 是より西竹生嶋ミち 尾上村に船 所在地 伊豆神社境内 社務所玄関 右脇にあり 建立 元禄十二年(1699) 速水北交差点にあったものが道路拡張 などの理由により伊豆神社に移設された ようだが 境内を隅々まで探した末にやっと発見 銘も薄くなっており また 年号の部分が 表になっており さらに判りにくかった |
木之本A
銘 みぎ 京いせミち ひだり 江戸なごや道 所在地 木之本町木之本 北国街道と北国脇街道との合流 地点となるこの場所に道標は立つ 木之本は今も昔の宿場町の面影を 残した町である 本物の所在地は 木之本町 意冨布良神社にある (下の写真) |
木之本B
銘 みぎ 京 いせ道 ひだり江戸なごや道 所在地 木之本町意冨布良神社 (おほふら神社) 木之本Aは複製である |
木之本C
銘 北国街道 田上観音みち 所在地 北国街道町並み 新しく建てられた道標のようである |
菅山寺
銘 菅山寺 十四丁 準西国八十八所 建立 明治26年 所在地 余呉町坂口 施主 観音講 天満宮は菅原道真を祀り その奥 の大箕山(おおみやま)頂上に 菅山寺はある |