6、杣街道
                     (別名:伊賀道・伊勢道)

     杣川流域に開けた甲南・甲賀を抜けて 柘植(伊賀)へ至る街道で 深川あたりは
     伊勢・伊賀の物資の集散地として栄えたところ


      三雲(甲西:東海道より分岐)−貴生川(信楽道と分岐)ー野尻(甲南)−深川市場ー深川ー寺庄ー高野(甲賀)−
      大原市場ー上野ー余野ー柘植(三重県)


1、三本柳常夜燈


 銘    照夜

 基壇  左 京
      右 水口

 所在地 甲賀市水口町三大寺
       (金毘羅神社内)

 建立  

 願主

 東海道から信楽・伊賀への分岐
 

2、矢川神社常夜燈


 銘    常夜燈二基

 基壇  

 所在地 


 建立 天保七年(1836)

 願主

 天保一揆の時 矢川神社の
 早鐘で農民が一斉にほう起した
 場所でもある

3、葛木神社常夜燈


 銘    大神宮

 基壇  左 水口

 所在地 甲賀市甲南町葛木
       (葛木神社内)

 建立  天保四年(1833)

 願主

 

4、瀬古薬師常夜燈


 銘    常夜燈

 基壇  

 所在地 甲賀市甲南町竜法師


 建立 不詳

 願主

 竜法師は甲賀忍者発祥の地
 近くに忍者屋敷あり
 瀬古薬師は「火伏せの薬師」と
 呼ばれる
 

5、野田常夜燈


 銘    太神宮

 基壇  伊勢講

 所在地 甲賀市甲南町野田


 建立  文政四年(1821)

 願主

 伊賀街道へ通じる
 常夜燈の傍はなぜかゴミ集積場
 になっているケースが多い


 6、大原市場:愛宕山常夜燈


 愛宕山を祀る      



 高野を過ぎ寺井橋を右に折れると
 大原の集落に入る
 JR草津の脇に小さな神社があり
 その境内に立つ




 7、大谷愛宕山       


   常夜燈には銘は見当たらないが
   愛宕山の碑の前に立つ常夜燈

   深川市場を通り過ぎJR線と平行に
   高野の方に進むと道は左に折れて
   大谷踏み切りを渡り 県道にでる
   その角に立つ
 








 8、上野金毘羅宮


 金毘羅宮と自然石の常夜燈    

 かって甲賀武士を束ねていたと言わ
 れる大原家のある 田堵野(たどの)
 の集落を過ぎると上野に入る
 その道路脇に立つ
 杣街道で金毘羅宮を見るのは珍しい
 この碑を左に進むと油日神社に至る






油日から県道51号(東湯舟甲賀線)沿いにある常夜燈

9、高峰金毘羅宮

 銘    金毘羅宮

 基壇  村中安全

 所在地 甲賀市高峰


 建立  明治14年(1881)

 願主

 杣街道の油日から伊賀へ通じる
 街道沿いにある常夜燈で太神宮
 常夜燈の近くにある

9a、高峰太神宮常夜燈

 銘    太神宮

 基壇  村中安全

 所在地 甲賀市高峰


 建立  明治14年(1881)

 願主

 杣街道の油日から伊賀へ通じる
 街道沿いにある常夜燈





 道 標

    三本柳


 右飯道寺
 左山上庚申

建立  文化三年(1806)

 東海道水口宿から分岐して
 野洲川を渡り 更に杣川の
 北杣橋を渡ると三本柳の集落
 にはいる

 集落を暫く進むと飯道寺に通じ
 る分岐点があり その角に
 この道標が立っている

 飯道寺は修験道の寺として
 有名である








三本柳


銘  正 ←やまかみうしん
   左   京 しんちゅうや
   裏   山上かうしん道    




建立 宝暦三年(1753)      


所在地 甲賀市水口町三大寺
       (金毘羅神社内)


 庚申山にある日本で初めて真鍮を
 作る方法を会得し 祭る広徳寺への
 道しるべと思われる     
   
 建立者は京都の真鍮屋中ではないか

 この道標がこの場所にあるのかは不明





 山上庚申


 

 日本真鍮祖神
 山上庚申道 是より三十丁

  嘉永4年(1851)

 江戸・京都・大阪の金物屋により
 建立

 三本柳の集落を進むと信楽道と
 県道と交差し その角にこの道標
 が立っている

 庚申山にある広徳寺に庚申像が
 あり 地元の某氏が庚申堂にて
 修行した満行の夜に「銅と亜鉛を
 混ぜて」真鍮を作る方法を会得し
 て 京都で鋳造方法を普及したと
 記されている

 






 深 川市場


 伊賀街道

 右へ進むと杣川橋を経由して 野田・
 竜法師・柑子内保越えで伊賀へ

 甲賀地方は奈良時代に東大寺・石山寺
 とう寺院建立時の良材の建築木材
 (甲賀杣)が豊富でこの木材の搬出・
 集荷場として栄えたそうである

 地元の人の話では昭和10年ころには
 まだ牛に荷物を積んで運搬しており
 この付近には牛小屋が多くあったとか



 大原市場


 右 岩尾山道



 矢川神社への橋を通り過ぎると
 右に阿山へ通じる道路があり
 その分岐にたつ


 岩尾山道


 銘   岩尾山
     左 いか
     
     天保二年(1831)

 杣街道から山道を通り 甲南町杉谷
 の集落を抜け大沢池の側にこの道標
 がある
 伊賀へは近い





 余 野


 右油日 いちいの 土山
 左す山 寺庄 京

 余野は滋賀県と三重県との県境である

 余野までには「大鳥神社」「油日神社」
 檪野寺など由緒ある寺院が存在する



 柑 子


 銘    右 いか上野    

 所在地 甲南柑子

 建立  文政五年(1822)

 この地域は間道が多く滋賀と三重
 を結ぶ道が交差している
 また甲賀忍者の里でもある


  三大寺


 銘   右 ふかハミち
     左 みなくち道    

 所在地 水口町三大寺

 建立  寛政8年(1796)

 飯道山登山口の途中 いいみち館前
 にあり
 表示の左右の方向が違うのでどこかの
 場所からこの場所に移設されたものと
 推測される


貴生川


 銘   右 山上庚申道
      右 志からき道    
     左 いちいの観世音
       ふかわいか道
 
 所在地 水口町貴生川

 建立  江戸時代と思われる
    

 水口から貴生川駅手前の分岐点に
 あり杣谷への枝道か