3、朝鮮人街道
        (別名:浜街道・下街道・安土街道・上洛道)



     関が原の戦いに勝った家康が上洛に際してこの道を通って天下を治めた それ以降
     徳川将軍が上洛するとき 中仙道でなくこの古道を使用し 徳川家の吉道とされ 
     秀忠・家光もこれを踏襲したと言われる
     

     この道沿いには 将軍が宿泊休憩された「永原御殿」「伊庭御殿」「柏原御殿」跡が
     残されている

     ちなみに 栗東:六地蔵にある「和中散」は将軍家康が永原御殿で腹痛を起こした時 
     これを服用して収まったことから大名や公家・庶民にも愛用され名を高めたといわれる

     オランダや琉球使節も利用しなかったといわれるこの古道を 朝鮮通信使
     (一行400人前後)が10回も利用したのは 秀吉が行った朝鮮侵略を反省して 
     日中友好を願う幕府の政策と言われる 以降朝鮮使節の常道となった

     
行畑(野洲:中仙道と分岐)−冨波甲ー永原ー小南ー十王(近江八幡)−田中江ー加茂ー小舟木ー西庄ー
       常楽寺 (安土)−下豊浦ー南須田(能登川)−能登川ー野部(彦根)−稲里ー清崎ー日夏ー西今ー平田ー
       後三条ー彦根ー古沢ー鳥居本(中仙道・北国街道と合流)
      


冨波甲常夜燈


銘     大神宮

      村中安全

所在地 野洲市冨波甲(自治会館横)


建立  大正十四年




 元は街道沿いにあったようだが いつ現在
 の場所に移設されたかは不明
 
 隣接地は「はなづくりの神事(勧請吊り)が
 行われる常楽寺がある
 


1、永原常夜燈


銘     大神宮

      村中安全

所在地 野洲市永原町


建立  明治十三年


献主  下町中

 石段もついた堂々とした常夜燈
 

 この付近には数基の常夜燈がある

2、野洲上屋常夜燈A

  
銘    太神宮
      右 ○○道

基壇

所在地 野洲市上屋


建立  不詳


献主  中○○

 しめ縄がはってある

3、野洲上屋常夜燈B

  
銘     金毘羅大権現
      

基壇

所在地  野洲市上屋


建立  


献主  

 

4、野洲永原地蔵尊常夜燈

  
銘   左 観世音
     右 地蔵尊

基壇

所在地  野洲市上原


建立  


献主  

5、野洲川小浜常夜燈

  
銘    太神宮 
      大峰山上

基壇  村講中 村安全

所在地 守山市小浜町


建立  

献主  

 朝鮮人街道から外れた浜街道
 の下新川神社方面から野洲川を渡っ
 た集落の入口に立つ


6、野洲川放矢常夜燈

  
銘    太神宮
      象頭山
      役行者
基壇  村中安全

所在地 野洲市中主町吉川
       (矢放神社前)

建立  


願主  講中


7、野洲比江常夜燈

  
銘    大神宮
      

基壇  村中安全

所在地 野洲市中主町比江
      (個人宅敷地内)


建立  明治三十七年(1904)


願主  神明講 


8、野洲八夫常夜燈A

  
銘    金毘羅山
      

基壇

所在地 野洲市中主町八夫


建立  


献主  


9、野洲八夫常夜燈B

  
銘    太神宮
      

基壇

所在地 野洲市中主町八夫


建立  不詳


願主  惣講中 


10、野洲北常夜燈A

  
銘   大峰山
      

基壇  講中

所在地 野洲市北


建立  


献主  


11、野洲北常夜燈B

  
銘   左 太神宮
     右 大神宮

基壇  左 講中
     右 王代講中
所在地 野洲市北

建立  左 文久二年(1862)
     右 明治二十○年

 
 大神宮の常夜燈が二基対で立っ
 ているのはめずらしい

12、野洲妓王寺常夜燈

  
銘    常夜燈
      

基壇  若連中

所在地 野洲市北
      (妓王寺の傍)


建立  


献主  

 妓王寺の傍に立つ常夜燈
 妓王寺は「平家物語」で有名な
 妓王・ 妓女・母仏御前の菩提寺
 平清盛に寵愛され生まれ故郷が
 旱魃に悩ませれるのを清盛に訴え
 て水路を確保させた 

 近くには「永原御殿」跡がある

 永原御殿が取り壊される時に建屋
 の一部が草津芦浦観音寺に移築され
 書院(重文)として保存されている


13、野洲虫生常夜燈

  
銘    両宮 太神宮
      太神宮
      太神宮
基壇

所在地 野洲市中主町虫生
       (虫生神社前)

建立  元治(1864)


献主  


14、野洲長島常夜燈A

  
銘    金毘羅大権現
      

基壇  講中

所在地 野洲市長島町


建立  文政十一年(1828)


献主  

 長島は小さな集落である
 集落全体で講を形成していた
 のか

 長島の集落は「中仙道」と「朝鮮
 人街道」とが交差するような場所
 にある


15、野洲長島常夜燈B

  
銘    太神宮
      

基壇

所在地 野洲市長島町
       (西蓮寺前)

建立  天保八年(1837)


献主  

 愛宕山の碑と並んで立つ


16、田中江常夜燈

  
銘    大神宮
      愛宕大神

基壇  川東町中

所在地 近江八幡市田中江


建立  明治二十三年(1890)


献主  


17、益田常夜燈

  
銘    常夜燈
      大峯山
      行者講
      

基壇  世話方講中

所在地 近江八幡市益田


建立  文政十年(1827)


献主  
 
 今も行者講の皆さんが月に一度
 大峯山へ参っておらるとのこと


18、桐畑常夜燈

  
銘    愛宕大神
      

基壇  村中安全

所在地 近江八幡市桐畑


建立  


献主  

 桐畑地区の菅田神社前


19、松ヶ崎常夜燈

  
[銘文]  
      

[基壇]

[所在地] 近江八幡市長命寺


[建立]  

[献主]  

 西国観音三一番札所の長命寺の
 麓  
 風雪に晒され文字判読できず


20、長命寺常夜燈

  
銘    観音大杢献燈
      

基壇 

所在地 近江八幡市長命寺
       (長命寺参道登り口)

建立  文政七年(1824)


献主  

 長命寺は西国三十一番札所
 大津方面より船で長命寺参りが
 さかんであった 
 松ヶ崎常夜燈とともにその当時
 の灯台の役目を果たしていたの
 ではないか


21、白王 波口明神常夜燈

  
銘    献燈
      

基壇  海上安全

所在地 近江八幡市白王町


建立  大正七年(1918)


 大中は干拓事業で農地となった
 が それまでは琵琶湖の内湖と
 の海上交通の安全を祈願したの
 では


22、日牟礼八幡常夜燈A

  
銘    両宮 太神宮
      

基壇

所在地 近江八幡市宮内町
       (日牟礼八幡宮内)

[建立]  嘉永七年


[献主]  寿講中世話方
        原田甚兵衛
        中川九兵衛


23、日牟礼八幡常夜燈A

  
[銘文]  太神宮
      常夜燈

基壇

所在地 近江八幡市宮内町
       (日牟礼八幡宮内)


建立  享保十八年(1733)


献主  

 日牟礼八幡宮内には多くの
 常夜燈が献燈されており 探す
 のが大変
 


24、八幡 音羽常夜燈

  
銘   太神宮
     常夜燈

基壇  万人講

所在地 近江八幡市音羽町


建立  元治元年(1864)


献主  多数



 基壇は不安定で道標も途中で
 折れている

 近江八幡は豊臣秀次が八幡城と
 城下町を築城し 現在の原型と
 なっている
 信長が築城した安土から移築した
 浄土真宗本願寺派八幡別院は
 関ヶ原の戦い後 上洛する徳川家康
 ・秀忠・家光らの将軍が宿泊したと
 いわれる
 



25、西庄 常夜燈

  
銘文  大神宮
      

基壇  日出講

所在地 近江八幡市西庄


建立  明治十六年(1883)

献主  多数 

 常夜燈の傍を流れる蛇砂川を
 昔 氾濫をよく起こしたそうである

 日出講は夜に篭もって朝を迎
 える講集団のこと

 この辺りの街道は曲がりくねって
 おり大変わかりにくい道となって
 いる


26長田常夜燈

  
[銘文]  (右)伊勢両宮常夜燈
      (左)愛宕大神
         津嶋大神
[基壇]

[所在地] 近江八幡市長田


[建立]  天明二年(1782)


[献主]  
 蛇砂川の近くの長田の集落


27、長田天満宮常夜燈

  
銘  献燈
      
基壇

所在地 近江八幡市長田

建立  

献主 

 長田天満宮近くの大きな自然石
 で出来た常夜燈
 毎日献燈されている


28、長田大町常夜燈

  
銘  奥 両皇常夜燈
         大神宮
   (手前二基は天満宮常夜燈)
     
      
基壇

所在地 近江八幡市長田


建立  明治二十七年


献主  


29、浅小井 津嶋神社常夜燈

  
銘     太神宮
      常夜燈     
      

基壇   西國講中

所在地  近江八幡市浅小井


建立  不詳

 浅小井津嶋神社の鳥居の傍に立つ
 
  
 

30、浅小井村中常夜灯

  
銘    金毘羅山大権現
      御神燈     
      
[基壇  左  講中
      右 小西九兵衛

所在地 近江八幡市浅小井村中


建立  左 天明三年(1783)
     
 浅小井村中の金毘羅神社前に対で
 立つ 傍には整備された湧水公園
 がある
  


31、下豊浦常夜燈

  
銘    金毘羅大権現
      

基壇

所在地 安土町下豊浦町


建立  文久元年(1861)


献主  

 活津根彦神社鳥居(公民館近く)
 を左に入り「セミナリヨ跡」方面へ


32、望湖神社常夜燈

  
銘    常夜燈
      

基壇  

所在地 東近江市能登川


建立  元治元年(1864)


献主  

 安土城の麓を過ぎて北腰越で
 能登川にはいると昔ながらの
 風景が残る
 街道沿いに立つ二基の常夜燈
 は旅人に安堵感を与えたことだ
 ろう

 この常夜燈の手前には「伊庭の
 坂下り」で有名な繖峰三神社が
 ある


33、能登川妙啓寺常夜燈

  
銘    常夜燈
      

基壇

所在地 東近江市能登川


建立  


献主  

 望湖神社常夜燈のすぐ近くに
 ある
 この神社の先には三代将軍
 家光の上洛時(寛永十一年:
 1634)小堀遠州が建てたと言
 われる「伊庭御殿  跡」がある


34、大浜神社常夜燈

  
銘    大神宮
      

基壇

所在地 東近江市能登川


建立  


献主  

 伊庭内湖は琵琶湖に通じ この
 地方特産品「近江麻」が産出さ
 れた


35、伊庭常夜燈

  
銘     常夜燈
      湖水安穏

基壇  安政山

所在地 東近江市能登川
       (金毘羅神社)

建立  安政四年(1857)


献主  

 特産品の麻の積み出し湊として
 灯台の役目を果たしていたと思
 われる
 琵琶湖の干拓で地形が変わって
 しまっているので湊の面影はない
 が石組みからそれとなく想像され
 る


36、芹橋常夜灯

  
銘    常夜燈
      町内安全

基壇

所在地 彦根市芹橋一丁目
       (明王堂前)


建立  弘化三年(1846)


献主  

 芹橋の袂から町内に入りこんだ
 一角にある
 常夜燈の周りはゴミの集積場と
 なり棹の上部には駐車禁止の
 注意書が貼ってある


37、池洲常夜燈A

  
銘    常夜燈
      
基壇

所在地 彦根市池洲町


建立  


献主  

 芹川堤防の下にある
 風化激し


38、池洲常夜燈B

  
銘     常夜燈
      御寄進 御本奥

基壇  世話人 池洲町 鍵屋正次郎
      大野屋利○
      當村 世話方中
所在地 彦根市池洲町


建立  安政四年(1857)


献主  多数

 地蔵堂横に立つ常夜燈
 彦根藩屋敷跡


39、千代常夜燈

  
銘    千代宮常夜灯
      

基壇

所在地 彦根市船町


建立  明治四十一年(1908)


献主  

 千代神社は1キロくらい南(京町)
 にある
 彦根湊の灯台の役目を果たして
 いたのか

 40 久野部常夜燈

  
銘    常夜灯
      

基壇

所在地 野洲市久野部


建立  


献主 


 久野部交差点の傍にある円光寺と
 大行事神社が隣接している敷地の
 角に立つ
 
円光寺境内には鎌倉時代の作の
 石造りの九重塔がある

41、柳川常夜燈


銘    海上安全常夜灯
      

基壇

所在地 彦根市柳川町
      来迎川の河口

建立  明治初期


献主  田附家(柳川商人)

 柳川は朝鮮人街道と中仙道を結ぶ
 柳川街道の起点
 田附家は年貢米回漕で財をなした
 といわれる
 湊の堤防と常夜燈を立てた



42、須越常夜燈


銘    常夜灯
      

基壇

所在地 彦根市須越


建立  不詳


献主


 街道を挟んで両側に対で立っている



43、小舟木愛宕山A


銘     愛宕大神
       町内安全

基壇

所在地 近江八幡市小舟木町


建立  


献主 


 白鳥川を渡り小舟木町を経て
 近江八幡市内に入るが小さな
 常夜燈が多い



44、小舟木愛宕山B


銘     愛宕大神
      

基壇

所在地  近江八幡市小舟木町


建立  


献主 


 比較的新しい愛宕大神の碑



45、小舟木常夜燈A


銘    諏訪神社常夜燈
      
基壇

所在地 近江八幡市小舟木町

建立  明治四十年


献主 村上宗左衛門


 奉献となっているが街道沿いに
 あり旅人の足元を照らしていた
 と思われる



46、小舟木常夜燈B


銘    常夜燈
      
基壇

所在地 近江八幡市小舟木町

建立  

献主 


 鍵解地蔵堂の脇に立つ
 (いろいろな問題の解決の
 糸口を与えてくださると伝え
 られる

     


道 標

 野 洲


銘  真宗木部派
   本山錦織寺1り   

    高さ220センチの道標

 所在地:野洲市 野洲駅前通り      

 錦織寺は中主町木部にあり   
 真宗木部派の本山で全国に200ヶ末寺
 を有する
 寺名は親鸞聖人が鎌倉時代に当寺に
 滞在のおり 天女が蓮の糸で紫紅の
 錦を織って仏前に供えたと伝えられ
 時の四条天皇より勅願で寺名を授かった
 とある





 十 王


 朝鮮人街道表示の道標    

 所在地:近江八幡市十王町

 日野川を渡ると十王町・江頭・田中江
 の旧道に入る
 昔 江頭は湊があってこの街道と
 琵琶湖を結ぶ重要な集落であった

 この街道に新しい道標が設置されて
 朝鮮人街道であることを示している





 江頭


銘 左 長命寺舩道     


所在地:近江八幡市江頭町
     江頭公民館前


 江頭は近世商業の中心地として栄え
 江頭湊を有し湖上交通の要所であった
 明治16年に県下では最初の地元資本
 による銀行的な江頭農業銀行が設立さ
 れたとある
 この道標は朝鮮人街道街道と並行する
 「浜通り」の明治の建築様式を持った旧
 小学校跡地の一角にある
 
 朝鮮人街道が商人の町とすれば
 「浜通り」は屋敷の敷地も広く当時の
 栄華を偲ばせる景観である

 また小さな集落にも関らず寺院の数が
 多いのにも驚かされる
 (十王・江頭・田中江の約2キロの面積
 に18もの寺社がある)
    


 加茂


銘  牧村妙見宮 
    コレヨリ八丁     

所在地:近江八幡市加茂町


 加茂は平安時代山城:加茂別雷
 (わけいかずち)社の加茂祭競馬料領
 地であったことから「足駄の走馬儀式」
 が現在も行われている   






 小舟木


銘  左 京みち
   右 長命寺一里     


所在地:近江八幡市小舟木町

建立 江戸時代

 通称 京街道筋にある


 八 幡


銘 右 長命寺道
   左 長命寺道     

所在地:近江八幡市鍛冶屋町


 八幡西元町


銘  すく 京みち   
   すく 長命寺みち

所在地:近江八幡市

建立 安政七年(1860)



  長命寺は聖徳太子の開基で西国
  三十一番札所で急な階段を登る    




 比 江


銘  兵主大社
    本山錦織寺左十八丁     

所在地:野洲市比江

願主 比江村役人


 最近までは兵主大社境内にあったが
 寄進者たちの意向で現在の場所に
 移設された

 




比 江B


銘  右 錦織寺  

所在地:野洲市比江
      上の道標と同じ場所


 この場所から錦織寺は見えている



 近江八幡市


 近江八幡市市内の図書館前
 にある京街道の道標    


 この界隈は昔の商家の佇まいが残さ
 れている   







 近江八幡市音羽


銘  すく 長命寺みち 是より
      一里半と十丁
    くわんおん寺道  是より
      二里    

建立 文久三年(1863)

所在地:近江八幡市音羽町
       常夜燈の脇に立つ

 くわんおん寺とは安土町の
 観音正寺のこと


金剛寺道標


銘  左  八まん 
        長命寺  みち

   右  いせ  ひの
             八日市
             むさ

   すく くわんおんし
       浄こんいん    ちかみち

所在地  近江八幡市金剛寺町

建立 嘉永六年(1853)     

 朝鮮人街道と中仙道から八風街道へ
 通じる間道でこの道標を右へ進むとすぐ
 若松神社の金剛地常夜燈に行き着く

 全くの旧道なので判りにくい場所







常楽寺道標


銘  すく 桑実寺薬師
        西国三十二番観音寺   
    右 京  八まん
           長命寺

所在地 安土町常楽寺

 中仙道と朝鮮人街道を結ぶ間道で
 桑実寺へ通じる角にある



 桑實寺道標


銘  → 桑實寺四丁  観音正寺十二丁
    ← 安土驛十一丁  長命寺 三里   

所在地  桑實寺参道

 


西生来交差点道標(R8号)


 献燈    

 自然石

 中仙道の老蘇から観音生寺へ向かう
 西生来交差点(新幹線高架下)に
 ポツンと立つ





観音生寺参道道標    


銘 西國三十二番観音生寺    

所在地
 新幹線高架を過ぎたところに立つ

 向こうの集落は観音生寺下の石寺の
 集落

 


観音生寺参道道標      


銘  右 谷汲寺十八丁   
   左 長命寺

所在地 安土町石寺

建立


  観音生寺参道の常夜燈の側に立つ






観音生寺参道道標     


銘 左 くハんおんし  すぐゑち川      
   すぐ大つ  右 八まん 長命寺

   すぐくハんおんし道

所在地 安土町石寺

建立 弘化二年

 石寺集落の観音正寺への参道の十字路
 の角にあり すぐ前には立派な常夜燈が
 立っている
 観音正寺は繖山(きぬがさやま)頂上に
 あり 西国三十二番札所
 当地を治めていた佐々木六角氏が築城
 した観音寺城の城下町





安土A


 朝鮮人街道を示す道標   


 所在地:安土町下豊浦

 常夜燈の近くにあり 折れ曲がった
 街道の表示で道筋が分かる


  近くにはセミナリヨ跡(日本最初の
  キリシタン神学校跡)が保存されてい
  る
  



安土B


  大津 能登川 長浜線(県道2号)
  からセミナリヨ跡へ通じる角にあり
  道標は車か何かによって無残にも
  おれている  








能登川(伊庭)


銘 湖邊順禮二十四番
   観世音 安楽寺道 是より3丁    

所在地 能登川安楽寺
 安楽寺は聖徳太子の創建と伝えられる寺
 で繖山(きぬがさやま)の麓にあり 
 「伊庭の坂下し」で有名な繖峰(さんぽう)
 三神社はすぐ近く    


清崎町A


 従是荒神道
   奥山寺     

所在地 彦根市清先崎町


 荒神山の山頂にある荒神山神社は
 神仏分離前は奥山寺と称していた
 開基は行基といわれる


 朝鮮人街道は能登川から荒神山へ
 向かってほぼまっすぐな道になる
 山崎山手前で車は大きく右折するが
 旧道は左に入って荒神山の山すそを
 回りこむ





清崎町B


銘 従是荒神道八丁
  奥山寺

所在地 彦根市清先崎町

建立 寛政十年(1796)    


 のどかな清崎の農地が広がる
 場所で清崎町Aと同じ道標


日 夏


  右 千手寺
    左 八まん    

所在地 彦根市日夏町


 宇曽川を渡る橋の手前 山麓
 に立つ


 千手寺は彦根市日夏町にある
 寺で眼病治ゆのための
 地蔵菩薩が安置されている 


彦根芹橋


 旧 朝鮮人街道を示す道標   


 彦根市の芹橋の脇にあり平成二年
 に立てられている
 以前は昔の道標があったとのこと
 ですが道標が折れたので新しく
 されたよですが味がなくつまらない