2、中仙道とその周辺
                         (別名:上街道 中山道)

     日本五街道の一つで 江戸板橋から日本の中部山岳地帯を経由し 湖北から鳥居本・
     武佐・行畑・草津で東海道と合流する街道で六十七の宿場があった


      大路(草津)−渋川ー笠川(栗東)−綣(へそ)−二町(守山)−閻魔堂ー今宿ー吉見ー行畑(野洲:朝鮮人街道
      に分岐)−小篠原ー辻町ー小堤ー大篠原ー鏡(竜王)−西横関ー東横関(近江八幡)−馬渕ー西宿ー長光寺ー
      武佐(八風街道と分岐)ー西生来ー西老蘇(安土)ー東老蘇ー清水鼻ー石塚(五個荘)−北町屋ー三俣ー小幡
      (御代参街道に分離)ー愛知川ー中宿ー沓掛ー石橋ー上枝(豊郷)−高野瀬ー石畑ー四十九院ー葛籠(彦根)−
      高宮ー大堀ー原ー小野ー鳥居本(朝鮮人街道・北国街道に分岐)ー番場(米原)−醒ヶ井ー柏原(山東)−長久寺ー
      関が原(北国脇街道に分岐)


1、守山今宿常夜燈


 銘   太神宮
     金毘羅大権現
     瑜伽大権現

 基壇 家内安全 天下泰平

 所在地
     守山市今宿 樹下神社内

 建立 天保二年(1831)

 願主  

2、野洲十輪院常夜燈


 銘    御神燈

 基壇  

 所在地 野洲市野洲町


 建立  天明五年(1785)

 願主  

 守山宿を出て野洲川を渡る
 対岸の地蔵堂敷地内にある


 野洲は江戸時代に野洲晒し高宮
 などの産地で生産された麻布を晒す
 分野を受け持った
 (一説によれば琵琶湖のシジミと
 野洲川の伏流水が晒しに適してい
 たともいわれる)



3、野洲新川神社常夜燈


 銘    金毘羅大権現

 基壇  

 所在地 野洲市野洲町


 建立 寛政十一年(1799)

 願主

 もともとは野洲川左岸にあったの
 が新川神社へ移築された

4、野洲東町常夜燈


 銘     愛宕大権現

 基壇   

 所在地  野洲市野洲町


 建立   

 願主

 新川神社のある集落の民家の塀
 の中にある 
 火災が起こらぬよう願ったのでは


5、野洲辻子安地蔵


 銘  (奥) 金毘羅 
       寛政十二年(1800)
    (中) 愛宕山 村中安全
       明治15年(1882)
    (手前)役行者神変大菩薩
       寛政十一年(1799)
 基壇 

 所在地 野洲市辻町
      (子安地蔵堂敷地内)

 この地域は五〜六戸で講を組み
 いろんな行事が今でも行われて
 いる

  


6、野洲辻三上神社常夜燈


 銘    大神宮

 基壇  

 所在地 野洲市辻町


 建立 

 願主

 辻町の三上神社境内に大きな
 自然石で出来ている
 この神社の由来や 常夜燈に
 ついて 神主に聞いてもはっきり
 しない
 国道八号線が神社敷地を大きく
 分断しており 当時の面影はない


7、野洲家棟川常夜燈


 銘   金毘羅大権現
 
 所在地 野洲市小堤町
       (家棟川右岸)

 建立 寛政六年(1794)

 昔 家棟川は天井川であったが
 最近河川改修で天井川は取り
 壊された
 その際 常夜灯も解体されて
 河川の傍に放置されたままで
 ある

 
 平成20年8月現在復旧された
 常態の常夜燈
 まだ 工事中である




8、大篠原常夜燈A


 銘  大峰山

 基壇 

 所在地 野洲市大篠原
      (念仏寺横)


 建立 文化四年(1807)

 願主


9、大篠原常夜燈B


 銘    太神宮

 基壇  講中

 所在地 野洲市大篠原


 建立  天保二年(1831)

 大篠原辺りの中仙道は大きく
 蛇行しておりまた国道八号線が
 真ん中を通過しているので鏡まで
 の旧道が大変分かりづらい道で
 ある

 旧道が大きく蛇行しているのは
 朝鮮人街道の長田あたりでも言え
 ることで道がなくなっていることも
 ある


10、大篠原常夜燈C


 銘   太神宮

 基壇 

 所在地 野洲市大篠原


 建立 文政元年(1818)

 願主

 夕日ケ丘登山口の民家敷地内に
 あり 基壇が随分と痛んでいる


11、大篠原成橋常夜燈


 銘   (左)個人の顕彰碑
     (中)愛宕山
     (左)常夜燈

 基壇 

 所在地 野洲大篠原堤

 建立 

 願主


12、野洲篠原入町常夜燈


 銘    愛宕大神

 基壇  

 所在地


 建立  明治三年(1870)

 願主
 
 自然石で出来た常夜燈
 村中を火災から守る願いを込
 めて

野洲小堤


 銘    皇大神宮

 基壇  

 所在地 野洲市小堤グランド一角


 建立  明治42年(1909)
      (昭和37年再建と火袋に
       彫りあり)
 願主
 
 自





  



13、竜王鏡常夜燈A


 銘    大峯山

 基壇  

 所在地 竜王町鏡


 建立  天保二年(1831)

 願主

 鏡山の山中にあり 草や竹が生
 い茂り 探すのが大変であった

 この常夜燈の傍には「義経元服
 の池」がある


14、竜王鏡常夜燈B


 銘    愛宕山

 基壇  

 所在地 竜王町鏡 (国道鏡口)


 建立  

 願主

 常夜燈そのものが深く埋まって
 おり詳細は不明
 近江八幡を含めて愛宕山信仰
 が深い地域でもある


15、竜王鏡神社常夜燈C


 銘    金毘羅大権現

 基壇  

 所在地 竜王町鏡
       (鏡神社鳥居前)

 建立  天明四年(1784)

 願主



 鏡は額田王の出身地とも言われ
 源義経元服の地としても知られ 
 元服ケ池も伝わる    
 鏡神社は国道沿いにあり 
 天日槍(あめのひぼこ)を祭神とする




16、東横関常夜灯


 銘    金毘羅

 基壇  

 所在地 近江八幡市東横関町


 建立 寛政十年(1798)

 願主

 日野川の渡しを渡った集落の
 入口にあり


17、武佐宿常夜燈A


 銘    金毘羅大権現
      常夜燈

 基壇 

 所在地 近江八幡市長光寺町


 建立 文化五年(1808)

 願主

 武佐宿の入口付近


18、武佐宿愛宕山常夜燈B


 銘    愛宕山
      村中安全
  

 所在地 近江八幡市長光寺町


 建立 天保八年(1837)

 願主

 武佐には「愛宕山」常夜燈が
 多い
 


19、武佐宿常夜燈C


 銘    愛宕山
      町内安全
  

 所在地 近江八幡市長光寺町


 建立  慶応三年(1867)

 願主


20、武佐宿愛宕山常夜燈D


 銘    愛宕山

 基壇 

 所在地 近江八幡市長光寺町


 建立 

 願主


21、武佐宿常夜燈E


 銘    愛宕山献燈

 基壇 

 所在地 近江八幡市武佐町


 建立 慶応二年(1866)

 願主


22、野田愛宕山常夜燈


 銘   愛宕大神

 基壇 

 所在地 近江八幡市野田


 建立 

 願主

23、八幡 若宮神社常夜燈

  
銘   太神宮
      

基壇  若松講
      ひだ里いせみち

[所在地] 近江八幡市金剛寺町
       (若松神社前)

[建立]  天保十一年(1840)


 基壇の若松講は近江伊勢講中
 の講元と言われていた 
 常夜燈の後ろは「湧水」の場所
 としても有名 

 一説には八風街道は近江八幡市
 朝鮮人街道の音羽あたりから
 分岐して始まっているとも言われ
 この常夜燈や野田の常夜燈も
 八風街道とすべきでしょうが 
 ここで は武佐から八風街道が
 始まるとします


24、八幡 金剛寺常夜燈


 銘  大峯山
     常夜燈      

 基壇 不動組

 所在地 近江八幡市金剛寺町

 住居の一角の囲われた場所に
 一対でる
 元あった場所からは移動されて
 いる
 この地は大峯山信仰が強く 
 大先達の行者さんが居られてこの
 地区を今も仕切っておられるそうで
 ある
 常夜燈のある建物も行者さん宅
 
 

25、八幡 御所内常夜燈         


銘   太神宮    

基壇

所在地 近江八幡市御所内

建立 明治四十四年?

 国道八号線御所内交差点から長田
 方面に入った公園のそばにある
 自然石を利用した立派な常夜燈で
 ある
 常夜燈の前は愛宕山を祭った祠が
 ある










26、野田常夜燈


 銘   金毘羅大権現
     村中安全
 基壇 

 所在地近江八幡市野田町


 建立 天保十年(1839)

 願主


27、桑實寺常夜燈


 銘    太神宮
      御神燈
   

 所在地 安土町桑實寺
      (桑實寺参道)

 建立  不詳

 願主

 桑實寺参道より少し外れた
 道沿いにあり基壇は相当に
 痛んでいる

 桑實寺の寺名は天智天皇
 の命により 定恵和尚が
 開山し 中国より桑の木を持
 ち帰り 日本で最初の養蚕を
 始めたことによる


28、安土轟橋常夜燈A


 銘    金毘羅大権現
      御神燈

 基壇  

 所在地 安土町東老蘇
       (轟橋袂)

 建立 文化十一年(1814)

 願主


29、安土轟橋常夜燈B


 銘    愛宕山

 基壇   

 所在地 安土町東老蘇
       (轟橋袂)


 建立 明治四年(1871)

 願主

 中仙道がこの轟橋を渡り
 国道八号線へ出る


30、石寺常夜燈


 銘   太神宮

 基壇 村中安全

 所在地 安土町 石寺       
 建立 明治二十七年(1894)

 願主 多数

 石寺の農産物販売所「楽市」
 から観音正寺への参道


31、石寺栢尾常夜燈


 銘    大神宮

 基壇  村中安全

 所在地 安土町石寺栢尾        


 建立  明治十九年(1886)

 願主


32、石塚常夜灯


 銘    金毘羅大権現

 基壇  

 所在地 東近江市石塚町


 建立 天保八年(1837)

 願主

 石寺方面から国道八号線を
 渡り 五個荘南交差点すぐ


33、五個荘三俣常夜燈兼道標


 銘   太神宮

 基壇 右京道
     左いせ ひの八日市

 所在地 東近江市三俣


 建立 天保十五年(1844)

 願主

 この近くは中仙道・御代参街道
 の分岐にあたり交通の要所
 五個荘は近江商人の発祥の地
 でもある

 綺麗な常夜燈である


34、五個荘小幡常夜燈


 銘    太神宮
      村中安全
 基壇  

 所在地 東近江市小幡町


 建立  天保二年(1831)

 願主


 小幡から御代参街道が始まる
   


35、宮荘常夜灯A


 銘    太神宮
      常夜燈

 基壇  右中仙道

 所在地 東近江市宮荘町


 建立  天保二年(1831)

 願主  治郎左衛門 藤九朗
      頼平 他 全八名

 五個神社のお旅所の交番横
 にあり


36、宮荘常夜灯B


 銘    永代常夜燈

 基壇  

 所在地 東近江市宮荘町
     (旧北小学校跡地角)

 建立 天保○○年

 願主


37、愛知川中常夜燈


 銘     太神宮

 基壇   講中

 所在地 東近江市中町


 建立   文政八年(1825)

 願主

 愛知川の左岸にあり 対岸の
 常夜燈と対をなす

 愛知川に架かる橋は
 「流れ橋」とも言われ 旅人を
 悩ませた
 少し上流に通行人から通行料
 を取らない「無賃橋」が今でも
 ある


 犬上川に架かる「むちんばし」 の碑    



天保三年(1832)に仮の橋から正式な橋が架けられた
       (彦根藩が近江商人藤野四郎兵衛らに作らせた)        


38、愛知川常夜燈


 銘   常夜燈

 基壇 

 所在地 愛荘町愛知川


 建立 弘化三年(1846)

 願主  五個荘住人多数

 愛知川中常夜燈と対をなして
 川を渡る人々の安全に寄与した


39、愛知川八幡神社常夜燈


 銘    八幡宮
      常夜燈

 基壇  油搾職人中

 所在地 愛荘町愛知川
       (八幡神社境内)


 建立  安政五年(1858)

 願主  多数の名が刻まれて
      いるが判読不能


40、多賀大社常夜燈A


 銘    多賀大社
      常夜燈
      不動院
 基壇 

 所在地 彦根市高宮町


 建立 文政十一年(1828)

 願主

 高宮は宿場町として また
 多賀大社参拝の町として
 繁栄


41、多賀大社常夜燈B


 銘    多賀大社
      常夜燈
      不動院

 基壇 

 所在地 彦根市多賀西
       (八幡神社前)


 建立 

 願主 多数の名が刻まれて
 いるが判読不能

 高宮大鳥居前の常夜燈と
 同じ


42、彦根高宮宿常夜燈


 銘    常夜燈

 基壇  

 所在地 彦根市高宮町


 建立  慶応三年(1867)

 願主


43、彦根大堀常夜燈


 銘    永代常夜燈

 基壇  

 所在地 彦根市大堀町
       (石清水神社下)

 建立  享和二年(1802)

 願主  岡谷惣助 尾陽名護屋
      宿坊般若院

 中仙道から大堀で分岐して
 多賀大社へ参る彦根藩の
 重要道

 


44、彦根原町常夜燈


 銘    多賀大社
      不動院

 基壇  

 所在地 彦根市原町


 建立  慶応三年(1867)

 願主  野村善左衛門
      野村善七

 原町から小野を通って鳥居本へ
 抜ける街道筋 多くの道標あり


45、小野常夜燈


 銘    献燈

 基壇  

 所在地 彦根市小野
      ( 八幡神社前)

 建立  

 願主  

 この場所は新幹線と名神高速
 に挟まれた峠みたいなところ 
 少し足を伸ばせば鳥居本に
 いたる


46、鳥居本常夜燈


 銘    常夜燈

 基壇  

 所在地 彦根市鳥居本


 建立   不詳

 願主

 珍しい桧皮葺の常夜燈である
 鳥居本は「玉神教丸」という
 腹薬と柿渋を塗った簡易の
 雨合羽が有名


47、醒ヶ井十王常夜燈


 銘    十王
      浄蔵結縁水

 基壇  

 所在地 米原市醒ヶ井
       (地蔵川の中)

 建立  不詳

 願主

 地蔵川は加茂神社付近で湧水
 の源がある
 流れが綺麗なため7月には
 水中花(バイガモ)が咲く


48、梓河内常夜燈


 銘   太神宮
     村内安全

 基壇 世話方 若連中
     屋敷寄付 當村 五郎助

 所在地 米原市梓河内


 建立 天保二年(1831)

 願主

 国道八号線から霊仙山へ入り
 込んだ梓川の辺の民家の庭先
 に立つ


49、柏原宿常夜燈A


 銘    金毘羅山

 基壇  

 所在地 米原市柏原
       (中井川 一里塚前)

 建立  文化十二年(1815)

 願主

 常夜燈から暫く進むと柏原御殿
 跡があり 伊吹もぐさが有名な
 場所でもある


50、柏原宿常夜燈B


 銘    秋葉山

 基壇  

 所在地 米原市柏原


 建立  安永六年(1777)

 願主

 市場川の辺に立つ常夜燈
 秋葉山は静岡の秋葉神社の
 ことで京都の愛宕山と同じく
 火伏せの神である


51、柏原明神常夜燈


 銘    大神宮

 基壇  

 所在地 米原市柏原


 建立  寛政十二年(1800)

 願主  寛文講中

 JR柏原駅前を通りすぎ踏切を
 渡ると神明神社参道に立つ
 楓並木を進むと岐阜県との境に
 なり「寝物語の里」となる


52米原須川常夜燈


 銘    大神宮

 基壇  須川村中

 所在地 米原市須川


 建立 明治三十一年(1898)

 願主

 柏原宿を離れ伊吹山方面に向う
 と須川の集落がある
 常夜燈に刻まれた文字を力強い
 ものを感じる



 道 標

 守 山


銘  右 中仙道並美濃路
   左 錦織寺四十五町
     このは満ミち 

   このは満=木浜のことで守山の
   湖岸の集落 
   江戸時代には琵琶湖海上輸送の
   要港

所在地 守山市本町

建立  延享元年(1744)

 「京発ち守山泊り」の宿場町として
 栄えた
 守山 「比叡山の東門として山を守る」
 意味で最澄により建立された「東門院
 守山寺」を過ぎると四つ角に立つ道標
 である
 錦織寺(きんしょくじ)とは中主町木部
 (ちゅうづちょうきべ)にある真宗木部
 派の総本山



守山西藤病院横

   
銘  すぐいしべ道
   高野郷新善光寺
     是ヨリ二十五町

   守山駅から斜めに中仙道へ入り
   西藤小児科角にあり

所在地 守山市2丁目
      西藤小児科角

建立  



守山吉見交差点


 銘  なかせんどう   


  所在地 守山市吉見町交差点

 建立  
 

 最近の道路整備に併せて
 新設されたものと思う





 行 畑

    

銘  右 中山道
   左 八まんみち

所在地 野洲市行畑
      (蓮照寺境内)

建立 享保4(1719)

 この道標はもともと中仙道と朝鮮人街道
 の分岐点にあったが 車との接触事故で
 道標が折れて川の中に放置されていた
 のを近くの人が少し離れた「蓮照寺」に
 持ち込み境内に置かれている

 また 近くの行事神社前に「背くらべ
 地蔵」があり甲賀道との分岐点でもある

 行畑の集落には平清盛に寵愛された
 祇王の願いで承安三年(1173)掘削され
 た人工の「祇王井川:野洲川のほとりから
 琵琶湖野田浦に通じる灌漑用水路」が
 現在も近くを流れている
   
  



右石標

   自是錦織寺道
   
 中石標

   従是北淀領

所在地 野洲市行畑
      (蓮照寺境内)






武 佐 道

   
銘 むさ道   

近江八幡市千僧供町から
武佐へ向かう県道14号
の交差点角にある



 武 佐


銘  武佐長光寺
   従是三丁   

所在地 近江八幡市武佐

建立

 この場所から一筋先には八風街道
 の分岐道標がある  


武佐A


銘  安土浄厳院道   
    
所在地 近江八幡市武佐

建立

 安土浄厳院は天正六年(1578)
 織田信長によって立てられた
 浄土宗の寺

 天正七年に浄土・法華両宗の議論
 がこの寺で行われ「安土問答」とし
 て有名


 武佐B


銘  いせ ミな口 ひの 
   八日市道

所在地 近江八幡市武佐 
   
建立
 文政4年(1821)   



 八風街道分岐の道標    




御所内


銘   出雲神社道      
        是ヨリ4丁

所在地 近江八幡市御所内町

建立  昭和十六年

 出雲神社は安土に近い場所で
 この地域では重要な神社






 東老蘇


銘  内野道 右八日市
        左安土   

   中山道 東老蘇右武佐宿
           左愛知川宿
所在地

建立


 立てられた道標で町並みに
 は「中仙道」であることを示す
 ものが多い

 小 幡


銘  右 京みち
   左 いせ ひの 八日市みち

所在地 五個荘小幡

建立 享保三年(1718)

 三俣を過ぎ 小幡の町並
 みに入ると 御代参街道と
 分岐する場所にこの道標
 はあるが民家とガードレール
 の内に押し込められている
 



 石 寺


銘 中仙道を示す道標  

所在地 安土町石寺     

建立


 観音寺山麓を通り清水鼻
 から五個荘へ向かう道筋
 に立つ    




高宮


鳥居柱の右道標

 是より多賀みち三十丁


その右

 みちばたに多賀の鳥居
 の寒さかな  尚白

 庄和57年建立


 大 堀

  
銘 是より多賀みち

所在地 彦根市大堀

建立


 この道標の前は小高い丘になっ
 ており石清水八幡神社がある   
  

 芹川の手前である

 彦根地蔵


銘 金毘羅大権現是ヨリ十一丁  

所在地 彦根市地蔵町

建立



 この集落には金毘羅大権現を示す
 石標が多い     
  

 原 町


銘 金毘羅大権現
  安産子安観世音 是より四丁慶光院
  是より多賀ちかみち



 常夜燈の前に多くの石標がある
 近くの寺社への案内板の乱立か?

  


 鳥居本


銘 右 彦根道
   左 中山道京いせ道    

所在地 彦根市鳥居本

建立 文政十年(1827)


 鳥居本から街道は分岐する
 この場所は朝鮮人街道の出入り口
 とされる  

 磨 針(すりはり)


銘 右中山道 昭和五十四年十一月
  旧 中山道 磨針峠望湖堂  

所在地 彦根市鳥居本

 鳥居本の集落を出て暫く国道八号線
 を米原方面へ進むと北国街道は左へ
 中仙道は右へ折れるその分岐に立つ
 
 昔は立派な道標があったといわれる
 が誰かに持ち去られて現存しない

磨針峠に関する由来
昔若い修行僧が志半ばで学業をあきらめ
故郷への帰路 この峠を通りかかった時
老婆が鉄斧を磨いでいた
なぜかと問うと「この斧が針になるまでとぐ」と答えた
これ聞いた僧は自らの未熟さを恥たという
この僧は後の「弘法大師空海」であるといわれている



磨 針 峠


銘  磨針峠 彦根   
   番場
   中山 鳥居本

所在地
 彦根市磨針峠

建立  昭和50年

  左 中仙道番場宿
  右 荘厳寺町経由多賀方面へ

  奥の道路は名神高速道路  



米 原


銘  右 中山道 
    左 北陸道

所在地 米原町米原

建立  弘化三年(1848)再建  


 米原の町並み進むと中山道(番場)
 へ向かう新道と右北陸道との分岐
 に道標がある   

 北国街道の始まりの最初の道標



 番 場


銘 米原汽車汽船道   

所在地 米原市番場

建立


 番場宿の入口近くに立つ

 旅人とは摩針峠を通ったようであるが
 物資を運ぶには大変なので平坦な
 米原経由の道が江戸時代の初めに
 作られたとか

   

 柏 原


銘  やくしへのみち   
    従是明星山薬師

所在地 米原市柏原

建立 享保二年(1717)

 長沢(ながそ)の集落に入ると道標が
 ある

 柏原宿を進み山東町長久寺のはずれ
 は美濃両国の境界で「寝物語の里」
 として有名な場所がある



寝物語の里

     
 柏原宿の東はずれは美濃と
 の境で長久手の集落になる  
 妙光寺の門前に「寝物語の里」の石碑がある

 平治の乱(1159)に敗れた
 源義朝を慕う常盤御前がここ
 長久手で宿をとった時 隣の
 美濃の国の宿で談笑している 声が義朝の家来江田行義と知 りその夜を語りあかしたと伝え られる