1、東海道
江戸日本橋から京都までを結ぶ大街道で五十三の
宿場町が栄ていた
京都三条ー日の岡ー四宮ー大津横木ー追分ー大谷ー逢坂峠ー札の辻(西近江路と分岐)ー京町通りー
境川ー石場ー西の庄ー膳所ー中庄ー粟津ー鳥居川ー瀬田唐橋ー橋本ー大江ー一里山ー月輪ー草津野路ー
矢倉ー草津(中仙道と分岐)ー岡(栗東)−目川ー坊袋ー川辺ー安養寺ー上釣ー手原ー六地蔵ー林ー伊勢落ー
石部ー柑子袋(甲西)−平松ー針ー夏見ー吉永ー三雲(杣街道と分岐)ー泉(水口)−北脇ー水口ー新城ー
今郷ー今宿(土山)−徳原ー大野ー市場ー前野ー白川ー北土山(御代参街道に分岐)ー田村神社ー蟹が坂ー
猪ノ鼻ー山中ー鈴鹿峠ー坂ノ下(鈴鹿)
1、逢坂常夜燈A
銘 逢坂常夜燈 大津 米屋中 所在地 大津市大谷 建立 寛政六年(1794) 願主 北国屋甚兵衛 河内屋平右衛門 志賀屋市朗兵衛 大和屋喜平次 近江と京を結ぶ交通の要所 の逢坂に四基あるとされる |
2、逢坂常夜燈B
銘 逢坂常夜燈 所在地 大津市大谷 建立 願主 逢坂常夜燈Aと同じ形式であり 四基立てたうちの一つ? 関蝉丸神社の傍にある |
3、関蝉丸神社常夜燈
銘 御本宮 大明神蝉丸宮 基壇 常夜燈 所在地 大津市逢坂 建立 天明八年(1788) 願主 国道い1号線が神社前を通り 交通の激しい所にあり 旅人の 足元を照らしす重要な役目を はたしていたのでは |
4、逢坂 若宮八幡宮常夜燈
銘 常夜燈 基壇 油職人講 所在地 大津市音羽台 (若宮八幡宮内) 建立 文政七年(1824) 願主 油職人講が建立した常夜燈 ビワ湖を見下ろす神社にある |
5、平野神社常夜燈
銘 平野大明神 精大明神 基壇 所在地 大津市松本一丁目 平野神社入口 建立 宝暦四年(1754) 願主 社司 平 定 掌主 栗田重賢 |
6、小舟入常夜燈
銘 伊勢両宮 常夜燈 基壇 船方中小船入茶屋中 伊勢屋甚兵衛船屋平八 所在地 大津市中央区四丁目 建立 文化五年(1808) 願主 恒藤講 小船入は江戸時代の重要な 海上交通の湊(小船入ー矢橋) |
7、打出浜常夜燈
銘 常夜燈 基壇 鍵屋傳兵衛 船持中 所在地 大津市打出浜 (琵琶湖文化会館) 建立 弘化二年(1845) 願主 高さ8メートルを超の大型常夜燈 もともとは石場にあったものを移築 したとのこと |
8、篠津神社常夜燈
銘 常夜燈二基 所在地 大津市中庄 建立 明和二年(1765) 願主 京都 竹屋治助他 |
9、石坐(いわい)神社常夜燈A
銘 (右)當所繁栄 (左)五穀成就 基壇 京都 手水講 所在地 大津市西の庄 建立 天保十五年(1844) 願主 白木屋佐十朗他 街道沿いにあり |
10、石坐(いわい)神社常夜燈B
銘 永代常夜燈 往来安全 所在地 大津市西の庄 建立 弘化二年(1845) 願主 街道筋の裏 神社入口にあり |
11、杉津 若宮八幡神社常夜燈A
銘 天照太神宮 所在地 大津市杉浦町 建立 享和元年(1801) 願主 本多康元 (膳所藩十代藩主) この辺りの街道筋には当時を思い 起こさせるような民家がある |
12、杉津 若宮八幡神社常夜燈B
銘 金毘羅大権現(一対) 所在地 大津市杉浦町 建立 天明七年(1787) 願主 若宮八幡神社横の新羅神社 鳥居前街道に面している |
13、関浜常夜燈
銘 立木観世音 所在地 大津市関津一丁目 建立 天保十二年(1842) 願主 東海道から随分と離れた場所にある 瀬田川の対岸には立木観音があり 国体のカヌー競技が行われたくらい の急流で 船の運行安全を願ったの では |
14、瀬田唐橋常夜灯
銘 常夜燈 所在地 大津市瀬田一丁目 建立 明治十三年(1880) 願主 東海道の重要な要所 瀬田の唐橋 重要な常夜燈も回りにいろんなもの が立っており存在感も薄れる |
瀬田唐橋常夜灯
銘 常夜燈 所在地 大津市瀬田一丁目 建立 願主 瀬田の唐橋の両サイドに常夜燈 が立つ |
15、草津横町常夜燈兼道標
銘 右 金勝寺志からき道 左 東海道いせ道 所在地 草津市草津一丁目 建立 文化十三年(1816) 願主 京都 中井正治右衛門 (日野商人) 常夜燈といっても道標か 旧草津堤防上にある |
16、草津追分常夜燈兼道標
銘 右 東海道いせみち 左 中山道美のぢ 基壇 飛脚宰領中多数 所在地 草津市草津一丁目 建立 文化十三年(1816) 願主 草津宿本陣の近くにあり 天井川を潜って草津駅方面に 向かう |
17、野路 新宮神社常夜燈
銘 金毘羅 基壇 常夜燈 村講中 所在地 草津市野路 (新宮神社鳥居横) 建立 天保五年(1834) 願主 昭和三十九年道路整備のとき 常徳寺から移築された |
18、南笠 治田神社常夜燈A
銘 東海道 中仙道 此むき川也 所在地 草津市南笠町 (治田神社内) 建立 願主 神社内の暗い場所にあります 棹の上の部分は新しい |
19、南笠 治田神社常夜燈B
銘 常夜燈 金毘羅 所在地 草津市南笠町 (治田神社内) 建立 文政六年(1823) 願主 同じ治田神社の隅にあり 赤い箱は消防ホースの格納箱 |
20、六地蔵 正福寺常夜燈
銘 常夜燈 献燈 所在地 栗東市六地蔵 正福寺境内 建立 昭和十二年(1937) 願主 京都 角田秀七他 昭和に建立されたものであるが これだけノッポの常夜燈は他に見ない |
21、手原 稲荷神社常夜燈
銘 伊勢講 皇大神宮 所在地 栗東市手原 (稲荷神社前) 建立 明治四十二年(1909) 願主 従六位笠井喬書 |
22、平松常夜燈
銘 奉両宮常夜燈 所在地 湖南市平松 (家棟川西詰) 建立 不詳 願主 昔天井川であった家棟川は改修され ており橋の西詰にいろんなものと一緒 にあって見過ごしやすい |
23、荒川常夜燈
銘 常夜燈 基壇 奉両宮 所在地 湖南市三雲 建立 弘化三年(1846) 願主 当村庄屋 三上清左衛門 年寄 伊右衛門 他 東海道と妙感寺へと分離する場所 荒川の辺に立つ |
24、三雲常夜燈
銘 常夜燈 常夜燈 常夜燈 基壇 京 東講中 所在地 湖南市三雲 JR三雲駅から貴生川方面へ 建立 安永八年(1779) 願主 野洲川の対岸にある横田橋の常夜燈 と相対して立つ |
25、横田橋常夜灯
銘 金毘羅大権現 常夜燈 基壇 万人講中 所在地 甲賀市水口町泉 建立 文政五年(1822) 願主 対岸の三雲の常夜燈と相対する常夜燈 野洲川は川幅広く参勤交代など往来激 しく増水などで大変危険な渡しと言われ 多くの旅人の義金で造立された 高さ10メートルを越える巨大な常夜燈 |
26、水口神社前常夜燈
銘 常夜燈 所在地 甲賀市水口鹿深 (水口神社前) 建立 願主 水口神社は「水口祭り」で有名 大きな「山車」が出る |
27、水口神社参道常夜燈兼道標
銘 志加らき道 左 八幡道 右 日野 八日市道 所在地 水口町水口神社参道 建立 願主 水口神社参道に立ち 道標の役目を果たした常夜燈 |
28、水口 石橋常夜燈
銘 常夜燈 所在地 甲賀市水口本町 建立 願主 水口本町の近江鉄道石橋駅傍の 三叉路の一角にあるお堂の中にある |
29、土山 平成常夜燈
銘 平成万人灯 所在地 甲賀市土山町土山 土山支所交差点 建立 平成三年( 願主 重量156トンもある自然石で出来た 平成の常夜燈 土山が宿場町であったことをシンボル化 して鈴鹿峠にある万人講常夜燈に あやかって建立された 夜はライトアップされるので美しい |
30、田村神社常夜燈A
銘 永代常夜燈 所在地 甲賀市土山町北土山 (田村神社境内) 建立 天保三年(1832) 願主 江戸神田佐久間町 伊勢屋清兵衛 当所 高野屋荘右衛門 田村神社は倭姫命と坂上田村麻呂を祀る 神社で鈴鹿峠の近くにある |
31、田村神社常夜燈B
銘 永夜燈(1対) 所在地 甲賀市土山町北土山 (田村神社境内) 建立 文政十二年(1829) 願主 田村神社参道にあり |
32、山女原 上林神社常夜燈
銘 伊勢両宮 奉燈 村中安全 所在地 甲賀市土山町山女原 (上林神社前) 建立 明治三十一年(1898) 願主 小嶋源兵衛 土山馬吉他 自然石で出来た常夜燈 この道は東海道から外れて安楽峠越えで 三重県石水渓を通って現在の 亀山インター方面へ |
33、鈴鹿峠常夜燈
銘 金毘羅大権現 永代常夜燈 基壇 万人講 所在地 甲賀市土山町鈴鹿峠 建立 正徳年間(1711〜)といわれる が不明 願主 箱根につで鈴鹿峠は交通の難所 三重県側から滋賀県側からもここまで 来ると一つの安堵感が得られたことで しょう |
34、番外
もともとは大津市打出浜の琵琶湖文化会館前にあったものが 安土考古博物館に移設され
たものである随分と探したが 市辺公民館 館長さんよりその所在をお聞きして探しあてた
銘 逢坂常夜燈 所在地 安土考古博物館敷地内 建立 寛政六年(1794) 願主 大津 米屋中 近江と京を結ぶ交通の要所 の逢坂に四基あったとされるもので 琵琶湖文化館前にあったものを移設 |
銘 外宮長虹籠 所在地 安土考古博物館敷地内 建立 元禄10年(1697) 願主 琵琶湖文化館前にあったものを移設 |
道 標
逢坂峠
元は逢坂峠にあったものが道路拡張 工事で大津琵琶湖文化会館前に移設 その後 安土考古博物館敷地に移設 みきは京ミち ひだりハふしミみち 柳 緑 花 紅 法名末□ (やなぎはみどりはなくれない) 唐の詩人蘇東坡(そとうば)の詩の一節 「札場の傍に柳緑花紅の標石」と いわれていた |
太神山不動寺(唐橋)
銘 是より二里半 上田 太神山不動寺 所在地 大津市瀬田二丁目 建立 寛政十二年(1800) 願主 富小路四条 加賀屋久七 大阪 金屋長兵衛 瀬田の橋を渡りきったすぐ交差点 正面の店舗角にあり 太神山不動寺は湖南アルプスの 主峰の山頂近くにある不動寺 |
草津立木神社
銘 伊勢太神宮 延宝八年(1680) 七ヶ年中履行月参詣願成就 みぎハたうかいとういせミち 山城愛宕山 十一月吉日 ひだりは中せんたうをた加みち 京 みぶ村 あしたの行者 万宝院 所在地 草津市 立木神社内 説明板によればこの道標は滋賀県内では 一番古いものとされているようで 元は下 の草津追分の常夜燈兼道標のあった場所 |
草津追分
銘 右 東海道いせみち 左 中仙道美のじ 所在地 草津市草津 建立 文化十三年(1816) 東海道はこの場所で草津川に突き 当たる 当時は川の高さも高くなく そのまま渡ったようで 此処から 右折して東海道に入る 明治十九年にトンネルが掘られた |
草津横町
銘 右 金勝寺志からき道 左 東海道いせ道 所在地 草津市草津一丁目 建立 文化十三年(1818) 願主 京都 中井正治右衛門 草津の追分を右折して草津川の堤防に 至るが土地不案内の旅人が この地で よく道に迷った そこで 日野の豪商 中井正治右衛門 の寄進によりこの道標がたてられた |
草津道標
銘 右 東海道 左 中仙道 所在地 草津市大路 覚善寺前 建立 明治一九年 草津川トンネルの開通 に伴い新しい道ができ 東海道と中仙道の 分岐点を示す道標が この地に建てられた |
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林
銘 これより1町余 新善光寺 所在地 栗東市林 新善光寺は長野まで行けない当地 の人が当寺に詣でたと伝えられる 現在は「ゲートボール」が盛んで 全国から参加による大会があり 有名である 縁起によれば 新善光寺は平安時代に 平重盛の一族がこの地に隠れ平氏追悼 のため信濃の善光寺に参篭して分身如来 を安置したことにはじまるとされている 寛文元年(1661)膳所藩主本多俊次が 再建し 新善光寺と改称したとされる |
甲西柑子袋道標
銘 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 従是 阿星山西寺江十八丁 近江j順礼一番札所 所在地 甲西町柑子袋 西寺は天台宗常楽寺のことで 近江三十三所観音霊場の第一番 札所となっている 本堂と三重塔は国宝となっている ちなみに 大津の三井寺の楼門は この常楽寺のものであったようだ 道標に南無妙法蓮華経と彫ってある のは珍しい |
三雲田川道標
手前の道標 銘 田川ふどう道 所在地 湖南市三雲 三雲荒川常夜燈の近くにある 立志神社参道にもあたる 指差しの図形で方向を示してい る 中央の道標は 銘 霊照山妙感寺従是14丁 万里小路藤房卿古跡 (までのこうじふじふさ:後醍醐天皇 に使えた公家で建武の中興に尽力 したが不遇の生涯をたどり出家) 建立 寛政3年(1791) |
水口文化会館敷地内の道標
敷地内に集められた道標 水口が交通の要所であったことがよく判るが ここだけの話では
ないが 区画整理などの理由によりとんでもない場所に移設されていることが多々見られる
元あった場所に戻すことは出来ないのか 人々の暮らしや歴史が伺えないのは残念
水口神社参道常夜燈型道標
銘 志加らき道 左 八幡道 右 日野 八日市道 所在地 水口神社参道 建立 願主 水口神社参道に立ち 道標の役目を果たした常夜燈 |
水口蓮華寺角
銘 右 志からき 五り 左 い加上の 七り 道 所在地 水口松栄 蓮華寺四つ角 建立 願主 東海道と伊賀道・信楽道との最初の 分岐点と思われる 自然石で字体は薄れて読みづらい |
土 山
銘 右 北国たが街道 ひの八まんみち 建立 文化四年(1807) 左 瑞石山永源寺 たかのよつぎかんおんみち 高埜世継観音道 建立 天明八年(1788) 所在地 甲賀市土山 願主 日野豪商 中井源左衛門 東海道と御代参街道の 分岐点にある道標 昔は多賀大社の鳥居があっ たとのことですが 現在は取 り壊されて現存しない |
車 石
逢坂峠の車石
逢坂の峠道は京への物資搬送 が集中したところで人や牛車 馬車などにより運ばれた ぬかるみでの運搬を容易にする 目的で車石は花崗岩に予め二条 の窪みを設けその上を車が通った とされる 現在は一部が安土考古博物 館敷地内に保存されている |