檪野寺(らくやじ) 相撲奉納

                                                   H22.10.18
                                                   甲賀町櫟野


        檪野寺は 延暦11年(792)比叡山延暦寺根本中堂の用材を求めて訪れた「最澄」が イチイの生木に「十一面観音菩薩坐像」
        を刻んで安置したのが始まりで 平安時代の初頭 鈴鹿の山に凶賊が住み着き 往来人や近郷の人々に危害を加え大変困って
        いることに 桓武天皇が征夷大将軍「坂上田村麻呂」(797に任官)に凶賊の討伐を命じたが なかなか平定せることが出来ず 
        檪野寺の十一面観音菩薩坐像にご加護を祈願したところ 賊をすべて敗走させることができた
        坂上田村麻呂は檪野寺を訪れ 家来に命じて相撲の奉納をさせ以来絶えることなく奉納相撲は続いている

        また 白州正子の愛した近江の著書で「かくれ里」として紹介されており 訪れる人が絶えない社寺である




参 道



十一面観音菩薩坐像
(集会場にある写真)



法 要



法 要



高僧による土俵清め



大原小学校生による相撲奉納



熱戦を繰り広げる相撲