今堅田 野神祭
H22.10.17
大津市今堅田
今堅田 野神神社には南北朝時代(1334−1392)に活躍した新田義貞の妻(勾当内侍)の墓のある場所で
勾当内侍廟と呼ばれる
妻は当初 後醍醐天皇(1318−1339)のお側に仕えた女官であったが 新田義貞の妻となったとのことである
(当時宮廷での役職名を「勾当内侍:こうとうないし」と云ったそうである)
新田義貞が足利尊氏との戦いで死んだを悼み 今堅田の琵琶湖に身を投げたといい、村人がその死を悼んで塚を築いたと
される
その後 村人たちが野神神社を建立して 毎年 勾当内侍の霊を慰めるための行事を行っている
祭の特徴は お渡りの最後に膳を掘り投げたり 午後8時に松明を灯した一行が「城内(じようない) 火事や火事」と叫びながら
集落内を回って神社へ戻るので別名「きちがい祭」とも呼ばれている
途中 一行は浜へ出て琵琶湖の水を汲み 神社へ持ち帰り勾当内侍の墓に水をかける
松明を灯した一行が「城内(じようない) 火事や火事」と叫ぶのは 琵琶湖に身を投げた勾当内侍を発見した村人が 松明を
灯して 村人を集めるには「単に火事と云っても村人が集まらないので城が火事」と叫べば 村人が集まったことに由来する
そうである
式典・お渡り
松明行列
右;勾当内侍の碑 左奥:勾当内侍廟 |
勾当内侍廟の内部 |
午後八時松明行列が神社を出発 |
行列が道路を横断する |
集落内を「城内(じようない)が 火事や火事」と叫びながら進む |
同 上 |
びわ湖の浜で水を汲む(奥はびわ湖大橋) |
勾当内侍廟に石を積む |
最後に頭屋が水をかける |
お供えをする (これは参拝者に分けられる) |
勾当内侍廟の扉を閉める |